■正徳元年(一七一一)十一月一日、十二神社建立。
■嘉永四年(一八五一)九月十二日、十二神社再建。
■明治六年十二月、万福寺村より十二神社を村社とする旨願い出る。
■明治十三年十月三十日、神奈川県より村社の指定を受ける。
■明治四十三年、拝殿改修。
■大正四年十月十四日、「拝殿改築願」提出、同年同月二十二日、神奈川県より許可される。(工期一年間・工費予算額二百三十五円)
■大正五年十月八日、社殿改修工事行われる。同年四月、狛犬奉納。同年九月、灯篭奉納。
■大正八年一月、参道入口にある龍の水場に記念碑建立。同年四月、手洗石建立。同年十月、参道、石段の修理が行われ、門柱奉納。
■大正九年三月四日の十二神社氏子総会「協議録」に、十二神社の社格を指定神社とするため、氏子及び信徒を募る、との議事録がある。
■大正十年五月十日「協議録」に、十二神社に関する明細帳記載「祭神不詳」を「祭神宇気母智大神」に訂正する旨、都筑郡役所に届出る、との議事録があり、その届出は同年同月十六日、神奈川県より受理される。■大正十一年八月二十九日、十二神社は供進神社(注1)に指定される。
■昭和二十一年二月、神社代務者・池田正盛氏並びに、総代・中島周策氏、鈴木新之助氏、鈴木愛保氏により「十二神社規則」が制定される。(十二神社祭祀として、信念祭・二月十二日/新嘗祭・十二月十二日/例祭・十月十二日、と記載)
■昭和四十二年十二月、十二神社拝殿・茅葺屋根を亜鉛葺きに改修。
■昭和四十七年九月十二日、石造りの鳥居を再建。
■平成二年三月、十二神社再興に向けて「十二神社建設委員会」が結成される。同年九月、十二神社例祭が再開、例祭日は九月吉日の土曜日もしくは日曜日とされ現在に至っている。
注1 無格社から指定村社となり、例祭の時には公(おおやけ)《国》から幣白料(へいはくりょう)《神に供物を奉る費申》を下賜される村社。幣白料を奉ることを「供進」(きょうしん)と呼称したので、供進神社という。この習慣は戦後の昭和二十年まで残っていた。
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