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万福寺のあゆみ  
万福寺の歴史と民俗

  万福寺の石造物

万福寺の石造物
 

万福寺地区には世田谷町田線沿い、万福寺会館内、十二神社境内・参道をはじめとする各所に、地蔵尊や庚申塔、馬頭観音等、数多くの石造物が点在している。
これらの石造物は江戸期に製作されたものが多く、当時の民間信仰である地神講や念仏講、庚申待などと深く結びついて造立されている。
地区内の歴史的建造物の分布図により、各石造物の位置を示すアルファベット表記(小文字a〜t)の順に従って地区内石造物の概要を記述する。

●馬頭観音a
風化が著しく、三面あった忿怒相(ふんぬそう)の顔も多く剥落し、わずかに一面を残すのみであるが、彫りの深い作行きは、立体的な力強さを感じさせる。正面馬頭印(明王馬口印)を結び、夫々の手に、数珠、独鈷杵、宝輪、斧、宝剣、宝棒を持っている。万福寺村中の造立である。

●馬頭観音b
覆い屋の中にあり、傍らにあるaと対称的である、三面八臂であることは共通しているが正面が合掌し、宝棒が施願印となっているなど異なる部分もある。宝雲に乗る蓮台、頭上の輪状光背なども表わされている。鈴木、中島、高橋氏が願主となって造立されている。

【馬頭観音】
馬頭観音とは馬頭観世音菩薩の略で、像形は頭上に馬頭を戴き忿怒の形相、通常は三面八臂から成るが文字のみで表現されたものもある。馬頭観音は馬頭明王とも呼ばれる八大明王のひとつで、馬の無病息災を祈願する守護神として、江戸時代に広く信仰を集めた。その多くは交通の難所や街道沿いに祀られている。

●地神塔c
万福寺地区周辺に水田が多かったので、田の作物神として建てられたものと思われる。角柱型で文字のみで表されているので文字塔とも言われる。

【地神】
地神は「ぢがみ」、「ぢのかみ」、「ぢしん」などと呼ばれる。地神とは地域の土地の神といわれるが、その範囲を縮小して、ある同族が集団で祀る屋敷神の名にもなる。春秋の社日(春分と秋分に近い戌(つちのえ)の日)に、農村では地神を祀る「地神講」を行うが、この日は土を動かしてはならない日といわれた。また地域によっては「地神日待」が行われた。これは春秋の彼岸に農業の神の掛軸を飾り、御神酒を供え、講員が集まって酒を呑み夕飯を共にして、五穀豊穣を祈願する習俗である。会場は講員の順番制で、ご馳走は宿持ち、酒代は各講員の持寄りとした。

●不詳d
板碑型の石塔で、正面を平らに作り、上部に額部をくり込んで、その左右に年号を、下部に蓮の蕾を浮き彫りにした前出を置いている。

 
 

●地蔵菩薩e
板碑型の後に流行した光背型の石塔で、右手に錫杖、左に宝珠を持った地蔵菩薩の浮き彫りが蓮台の上に乗って表されている。左に年号を印している。

●不詳f
丸柱型の墓塔であるが表面の剥離が激しく種別を特定することが出来ない。

●念仏塔g・h
二躯とも地蔵菩薩の頭部が欠損しているが、台座の刻銘により月並女人廿一念仏塔として祀られていることがわかる。この信仰は「念仏講」「月並講」(真言宗の月並御影供養とは別で月待ちのことをさす)「女人講」「廿一夜講」をひとまとめにしたもので、いわゆる二十一夜念仏供養塔のことであり、地蔵菩薩が表現されている。女性の講で毎月二十一日に念仏をあげ、お祀りをした。

●鑿井奉納由来碑i・手洗石j
万福寺地区は、古来より水に大変な苦労をしてきた。この碑の台座の下には、奉納された鑿井による自噴井戸があり、中途に付けられた龍頭の口から今でも地下水が同じ年にしつらえられた手洗石jに潔らかな一筋の糸となって流れ落ちている。石碑iの裏面に刻まれている才澤龍之助氏(明治七年〜昭和二十六年)は才澤孝明氏の曽祖父に当り、掘り抜き井戸の優れた技術を持ち、麻生はもとより、柿生、生田、菅の方まで自噴井戸を手掛けた井戸掘りの名人だった。自噴井戸は地下水なので、夏場、冬場とも水温が変わらず便利で、人々の暮らしを支えていた。

●幟立てk
神社の入口にあり、幟旗を固定するための支柱で、共産会員によって建設されている。

●鳥居l
この鳥居は、下より台石、饅頭、円柱、貫、模、額束、鳥木、笠木から構成される神明鳥居の典型的なものである。鈴木家、中島家により奉納された。

●狛犬m
鳥居を潜って階段を登った所に一対の狛犬が置かれている。一方が口を開き子を抱き、もう一方が玉を持ち口を閉じる阿吽の形をとっている。

 
 

●御大典記念碑n
大正天皇の即位を記念して建てられた碑で、併せて明治三十七〜三十八年の日露戦争の従軍者と在郷軍人会の会員名を記している。

●石燈篭o
神社の参道を登りきったところに置かれた一対の燈篭で、下より基礎、竿、中台、火袋、笠、宝珠で構成されている。

●石祠p
江戸時代に作られた石造りの小祠で、基壇、室、屋根から構成され、室部には扉がある。祭神は不明であるが、民間信仰に係わるものである。

●馬頭観音q
文字塔の上部に並列する馬頭を置いたもので、馬頭観音の左右に年号と願主を記している。

●馬頭観音r
馬頭観世音とのみ記された典型的な文字塔である。万福寺地区で確認されている中でもっとも新しい馬頭観音である。

●弁財天s
蓮台に乗った二臂の弁財天の座像であるが、残念ながら手が両方共欠損している。おそらく左手に宝珠、右手に宝剣を持っていたものか、或いは琵琶を手にしていたものと思われる。頭上には鳥居と蛇身が刻まれている。更にその上には梵字のソ字を置いている。七福神の一つとしても親しまれている。

【弁財天】
弁財天は水神様ともいわれる「巳待ち」の主尊で、多くは水辺に祀られている。水神講・巳待講は己巳(つちのえみ)の日や毎月の巳の日などに、水神の弁天様を祀って夜を明かす講。万福寺のこの周辺の田圃は、谷から湧き出る清水を稲作に用いていたことから、その場所に巳待ち講中が奉納、祀ったと考えられる。

●庚申塔t
青面金剛を主尊としており、頭上に梵字を置き合掌した六臂像で、夫々の手には矢、弓等を持ち、下段には三猿をそれぞれ刻んだ庚申供養の塔である。眼、耳、口を塞ぐ三猿は「見ざる、聞かざる、言わざる」の意味を寓した三様の姿勢をとる像である。

【庚申】
「庚申(こうしん)」は「庚申待(こうしんまち)」の略である。庚申は中国の道教に由来する禁忌であり、日本へは平安時代に伝わり、江戸時代に盛んになった民間習俗で、干支でいう庚申かのえさるの夜、仏家においては帝釈天及び青面金剛を、神道では猿田彦を祀って、その夜は寝ずに夜を明す。もしその夜に眠ると、三尸さんしという人の腹の中にいる三匹の虫が抜け出して昇天し、上帝にその人の罪悪を告げ、命が奪われるという。

 

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